バルブッカと言っても、たぶん相当な熱帯魚のマニアでないとピンと来ないであろう。分類的には、ローチの仲間とヒルストリームローチの中間に位置する魚のようである。動きや生態だけを見ていれば、ロケットフィッシュなどのホマロプテラの仲間に近い種類というのが判るだろう。成魚でも全長2~3cm程の小型魚である。
長年1属1種としてバルブッカ・ディアボリカ(Barbucca diabolica)だけが知られていた。1989年にタイソン・ロバーツにより記載されている。本種はマレー半島からボルネオまで広く分布している。昨年ベトナムに生息するバルブッカ・エロンガータ(Barbucca elongata)が記載され、本属は2種類となっている。バルブッカという学名は、ヒゲのある口という意味である。コイ科の魚の多くやドジョウの仲間は、ほとんどが口にヒゲを有するので、特徴を捉えた良い学名とは思えないが、発音し易く覚え易いので、一般名としては良い名前だろう。英名ではFire-Eyed Roachと呼ばれている。この名前は実際採集すると理解できる。網で掬った直後に見ると、眼がオレンジから深紅色に輝いているのである。しかし、不思議な事にこの色彩は水槽内では見られない。この色彩を見たいなら、夜間に暗くなった水槽内を懐中電灯などのライトで照らしてみよう。採集時ほどではないが、赤い眼が見られるだろう。
バルブッカには忘れられない想い出がある。20年程前に始めてタイ南部のスンガイゴロクのブラックウォーターの川へ採集に行った時の事である。やや流れのある細流で倒木をどけながら採集していた際に見慣れない魚が1匹網に入って来た。ローチの仲間であるのは間違いないが、動きはホマロプテラなどのタニノボリのようである。全長は2cm程と小型だったので、何かの幼魚かもしれないと思い、日本に持ち帰った。しかし、いくら飼育していても大きくならない。餌はアルテミアや人工飼料をしっかりと食べているにも関わらずである。ある日海外の文献を見ていたら1枚の標本写真が目に留まった。それがタイソン・ロバーツの書いたバルブッカ・ディアボリカの論文だったのである。大きな目、体に入る横縞など特徴がドンピシャであった。今回使用しているバルブッカ・ディアボリカの写真はその際の個体を撮影したものである。この時のバルブッカは我が家で2年程は生きていた記憶がある。ちょこまかした動きは非常に可愛らしく、他の魚にも悪さをせず、混泳にも適した種類なので、自分のお気に入りの魚であった。
バルブッカが商業的にまとまって入荷するようになったのは、それから数年後である。しかし、コンスタントな入荷はなく、数年に一度見かけるか見かけないかの魚である。もし幸運にもショップでこの魚を見かけたら、迷わずに購入する事をお勧めする。次はいつ入荷するのかが予測できないからだ。
バルブッカはマレー半島からボルネオに生息するマレー系の魚だと思っていたら、10年程前に新たな分布情報が入って来た。インドシナ半島のタイ東部チャンタブリの辺りにも分布しているというのだ。チャンタブリやタラットはインドシナ半島でもマレー系の魚が分布している地理的にも興味深い地域である。インドシナ半島では唯一のマウスブルーダーであるベタ・プリマもこの地域からカンボジアにかけて生息している。遥か昔、インドシナ半島とマレー半島、ボルネオ島などがくっ付いており、長い年月をかけ離れていったと考えると、これらの魚の分布はつじつまが合う。
良く採集に行くタラットでもバルブッカを採集した事がある。果樹園の中を流れる細流の流れの速い石の下に生息している。生息数は少ないようで、採集慣れした者が一生懸命採っても、1日に10匹も採れなかった。この魚も後日日本に持ち帰り我が家で撮影のモデルとなった。知り合いの研究者によると、このバルブッカがディアボリカなのか新しい別種なのかはまだ研究中のようである。
数年前にカンボジアのココンで採集した際にもバルブッカを見かけた。濃いブラックウォーターが流れ、クリプトコリネが自生している環境は、タイ南部のスンガイゴロクと一緒である。乾期になり水位の引いた細流の石を蹴って網に魚を追い込んでいたらバルブッカが入って来た。やはり採集直後は深紅の眼が印象的である。他の石を持ち上げてみたら、その裏にもバルブッカが張り付いていた。ここでは生息密度は濃いようである。
つい先日も同じ川を訪れる機会があったので、様子を見に行ったら、以前は流れのあった細流が水位が下がり過ぎて、淀んだ水溜りと化していた。バルブッカの姿を探したが、かろうじて1匹だけ見つけただけであった。カンボジアのココンとタイ東部のタラットは地理的にはそう遠くない。共通して生息している魚も少なくない。たぶんタラット産のバルブッカと同種と考えられる。
このカンボジア産のバルブッカはまだ自宅に持ち帰った事がなく、水槽できちんと撮影していない。いつも日本に持ち帰る前にいなくなってしまうのだ。こないだの貴重な1匹ももうどこかに消えてしまった。海外のフィールドから無事に魚を輸送するのは実際大変な努力を有するのである。日本のショップで見られる魚達も現地の採集人、シッパー、日本の輸入業者の努力あってのものなのだ。生きて日本に届いた魚達をぜひ大切に飼育して頂きたい。