昨年の11月、ラオスのサワナケートに撮影に出かけた際に市場でヤマガニが食用として売られているのに出会った。自分の場合、新しいフィールドを訪れた際には近隣にある市場に出向いてみる事にしている。そこに商品として並んでいる魚やカニ、エビ、昆虫その他の生物を確認することにより、その場所にどんな生物が棲息しているのか大凡の情報を得る事ができるからだ。また、活気のある市場はその地の人々の生活を垣間みる事ができるため興味深い。
さて、その市場で見つけたヤマガニは大きなタライに無造作に山ほど入れられていた。聞くとこの近くで採れるらしい。美味しいから買っていきな!と言うおばあちゃんの脇で孫とおぼしき少女がはにかんで我々を見ている。せっかくなので、サンプルとして買う事にしたのだが、ごちゃっと入れられているために脚が欠損している個体が多い。やはり完品が欲しいので、そのカニの山を引っくり返しては綺麗な個体を選ぶ。そんなお客はいないのか、珍しがってギャラリー達が集まって来てああだこうだ言い始める。そんな喧騒を楽しみながらカニを選び、買ったカニはズタ袋に入れてもらった。
たまに水を掛けたりしながら陸路数日かけてタイのバンコクまで戻ったのだが、数十匹いたカニは少しずつ死んで行き、最終的には2匹だけになっていた。やはり1匹ずつパッキングして喧嘩しないようにしないとダメなようだ。さらにこれを日本に持ち帰る頃には1匹だけになっていた。うーん残念、これを教訓に次は殺さないように輸送しなければいけない。
今年の5月、幸いにもまたラオスに行く機会があった。あのヤマガニの生息場所に行き、自然での様子を見たいと思い、顔なじみのドライバーにちょっと情報を集めてもらった。
ラオスの市場に並ぶ食用のカニは2種類いるそうだ。もっとも一般的なのは、プー・ナーと呼ばれるタガニである。これは日本のアメリカザリガニのような生態をしており、水田や湿地に棲息し、その脇に穴を掘って住処にしている。タイでも田園地帯では普通に見ることができる。水の汚れにも強く、バンコクのドブに棲息しているのを見た事もある。
もう1種類は今回の目的でもあるプー・デンと呼ばれるヤマガニである。ラオスの言語は非常にタイ語に近く、共通の言葉も多い。タイ語でもラオス語でもカニはプーと呼ぶ。そこに修飾語で赤いという意味のデンと言う言葉が付き、プー・デン=アカガニとなるのだ。ちなみにプー・ナーの方のナーというのは水田を意味し、田んぼのカニ、タガニとなる。
調べてもらったところ、プー・デンはサワナケートの町からサムローと呼ばれるバイクに荷台を取り付けた車で4〜5時間程の場所で採れると言う。乗り心地の良い乗用車ならともかく、乗っているだけで疲れるサムローで4時間というのはかなり厳しい。とはいえ、ここラオスでは車のチャーター代が非常に高く、普通の車を1日借りたら1万円近くもするのである。貧乏カメラマンにはこの出費は痛い。サムローならその数分の一で済む。我々のために情報を集めてくれているのは、昔からこの場所で馴染みにしているサムローのドライバーなので、彼を使う事にした。
前日打ち合わせをすると、彼は朝6時に我々を迎えに来るという。確かにその時間に出発しても目的地に着くのは10時か11時である。完全な夜型の自分は早起きは苦手であるが、翌日はちゃんと起きて7時前には出発した。途中雨に降られるは、車が故障するはで、目的地に着いたのは12時近くであった。ぬかるんだ未舗装の道路は想像以上にデコボコしていて、ちゃんと掴まっていないと天井に頭ぶつけたり車から放り出されてしまう。着いた頃にはもうヘトヘトであった。
ヤマガニ採りというので、もっと標高の高い山の中なのかと思っていたら、着いた場所はちょっと小高い丘がある田園地帯であった。ここにドライバーの知り合いの家族がいて採集を手伝ってくれるそうである。挨拶もそこそこにプー・デン採りに案内してもらう。山の中を長時間歩く事を覚悟していたのだが、家の裏の田んぼの脇で採れるそうである。ちょっと拍子抜けであったが、ここまで来るだけで疲れていた身にはラッキーだった。カニ採りはここでは女子供の仕事のようである。おばあちゃんやおばちゃん、子供達が一家総出で採集を手伝ってくれた。
教えてもらうと水田の脇にカニの住処の穴がたくさん開いている。そこを掘るとカニが出て来るのである。みんな泥だらけになりながらカニ採集をしてくれた。大きいのや小さいのがいるいる、これだけの密度でいれば食用に出来るのも納得である。水に近い場所には雌が、やや水場から離れた場所には雄が多いようであった。ちょうど繁殖期なのか、雌は腹部に大きな卵や子ガニを抱いているものも多かった。資源保護のためにもちろん子持ちはリリース。小一時間で目的の数は集まり、今度は喧嘩しないように1匹ずつ個別にプリンカップに収容した。
写真も撮れたし満足なのだが、またここから4時間以上かけて宿まで戻るのはちょっと憂鬱であった。その夜は疲れと満足感で爆睡したのは言うまでもない。